政治(第29話):安倍総理と中国共産党との類似点

   私は、病院と裁判所(あるいは警察など)が必要とされない社会がくれば、今よりはよりよい社会になるのでは、と考えています。病気になる人がいなければ医者は要らないし、人を不幸にさせる人がいなければ裁判所も要りません。
   考えが異なる人間集団が構成員である一つの国家において、憲法は、「このような決まりの下に生活しましょう」という、それぞれの国における原典だと理解します。憲法は、その国の過去の反省を刻み込んで成り立っていますし、その憲法解釈も過去の経験を踏まえてなされています。その原典解釈がころころと変わるようでは、その国の法体系は信頼できません。それ故に、政府の憲法解釈を一手に担う内閣法制局は、「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とする解釈を1972年以来43年間維持してきたのです。民主党政権がPKO派遣に際して、自衛隊が民間人らを救助する「駆けつけ警護」において海外での武器使用を検討したときも、「法制局が認めなかったから実現できなかった」ということです(野田政権時の防衛政務官・大野元裕参院議員の言)。
   国の形を根底から変える9条の解釈変更を、法制局がたった一日の審査で「意見なし(局内に反対意見はない)」と、内閣官房の国家安全保障局に電話で返事したとの報道です。何故そんなことができたのか?そのやり方は、チベット仏教における最高指導者選定に対して、中国共産党が行ったやり方に似ています(【原理・原則】第26話)参照)。
   内閣法制局は、日本が法治国家であることを西欧列強に示すために、明治政府(伊藤博文・初代首相)が設置したという。つまり、内閣の一機関であり内閣の要求に応える政府の法律顧問であるとともに、法の番人でもあるのです。この矛盾する役割の中で法制局の職員は法律の専門家としてのプライドを持ち「集団的自衛権行使は違憲」という立場を守ってきたのです。
   戦後の法制局長官は、参事官(課長級と推察)→部長→次長→長官を辿る、法制局内の法律の専門家が担っていたが、安倍総理は、駐仏大使だった小松一郎氏(国際法が専門)を長官として送り込み、これまでの不文律を覆した。小松氏は、「憲法9条は、集団的自衛権の行使を禁ずるものではない」という考えの人である。つまり、法制局のこれまでの中立的立場が終わりを告げたのである。小松氏が集団的自衛権行使容認の閣議決定に道筋を付けてしまった後に長官になった横畠裕介氏(元法制次長)の真意は、私には分からない。事実は、小松氏と同じ道を歩んでいる。
   以上のように、中国共産党が、チベット仏教最高指導者の選定をすり替えたように、安倍総理は法制局長官をすり替えたのである。
   法制局に関するもう一つの問題点は、「行政機関は、意思決定に至る過程や実績を、後世の人々がチェック・検証できるために、文書を作成しなければならない」ことが定められている(公文書管理法・2011年4月施行)。それにも拘わらず、その文書がないようである。
   ブログが長くなったので終わりとしたい。なお、上記記述の情報源の殆どは毎日新聞(9月28日)である。
追記:後で思い出したのであるが、昨年末の衆議院選挙の争点は、「消費税増税の時期を遅らせることを国民に問う」であったように思うが、選挙が終わったら「安全保障法案を成立させる」ことにいつの間にかすり替わっていた。ということは、安倍総理はこれで少なくとも2回はすり替え行為をしたことになる。【原理・原則(諺):二度あることは三度ある】、よって、これからもすり替えは起こりうる。

この記事へのコメント

通りすがり
2015年11月09日 21:19
>私は、病院と裁判所(あるいは警察など)が必要とされない社会がくれば、今よりはよりよい社会になるのでは、と考えています。病気になる人がいなければ医者は要らないし、人を不幸にさせる人がいなければ裁判所も要りません。

 何だか余りに子供じみた言い方で、年齢を数多く重ねた方がこんなことを言われるのにはビックリします。

ちょっ意地悪を言わせてもらえれば、「病気になる人がいなければ医者は要らない」は、「病気になる人は、みな死んでもらえば医者は要らない」とも言えますし、「人を不幸にさせる人がいなければ裁判所も要りません」は、「人が不幸に感ずる前に殺してしまえば裁判所も要りません」とも言えます。つまり、独裁国家になれば、独裁者にとっては、病院も裁判所も不要となります。
「病院と裁判所(警察)が必要とされない社会がくれば、今よりはよりよい社会になる」なんていうのは、思考実験としもお粗末すぎませんか。

 また内閣法制局がお気に入りのようですが、国民主権はどこに消えてしまったのですか。
「集団的自衛権行使は憲法上許されない」と解釈する内閣法制局は認めるけど、「集団的自衛権行使は憲法上許される」と解釈する内閣法制局は認めない、というのでは、内閣法制局という制度があればいいというもんじゃないですよね。もう一度いいます。国民主権はどこに消えてしまったのですか。

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