教育(第2話):ヒトはサルになりつつある?!

   教育(第1話)では、「人と人との心を結びつける教育が大切である」と記した。今回は、それを別の視点で考えてみる。
   そのきっかけは、『人間社会でサル化が進んでいる』と指摘する山極寿一・京大総長の講演要旨(毎日新聞2月13日)から貰った。それによれば、「ゴリラはサルと違って、相手に共感する能力を持っている」という。そして「ヒトは、進化の過程でゴリラ以上に共感能力を高めた」というのである。
   共感能力が落ちると、経済の勝ち組になり利益を独占したときも、弱者の痛みは感じることが少なくなる、と考えられているようである。何故そのようになるかと言えば、「ヒトは顔を突き合わせて信頼性を築いてきたのに、携帯電話などの情報技術の発達が対面の大切さを壊しつつある」と判断されていると、私は理解した。アメリカを出発点とする新自由主義、つまり、「能力のあるものは、それに応じた収入を得て当然だ」がそれに拍車をかけた、と私は見る。勿論、人には能力の差、得意分野の差があるので、すべての人の収入を同一にはできないが、当たり前感覚が強すぎて、弱者への共感力が喪失すれば弱者の痛みは感じ難くなると想像する。
   振り返って考えると思い当たる情報・知識は過去にもある。赤ちゃんはTVを見ている時よりも人に相手にされている方が脳の活動は遥かに活発であることだ。このことを示す実験がずいぶん前のNHK TVで放映していた。このことが理由だったかは今となっては忘れてしまったが、我が家では子どもが小学校に入学するまでTVを家に置かなかった。
   また、他人と顔を突き合わせることを妨げる環境も生じた。そのきっかけは、大阪教育大学附属小学校での殺傷事件と理解する。あの事件以来、日本全国における小・中・高等学校への一般市民の立ち入りが難しくなった。つまり、休日には校庭で遊び戯れていた子ども達の行き場がなくなっただけでなく、自由に校庭で球技などを楽しんでいた大人も、校庭から締め出されることになった。結果として、子どもは兄弟だけで遊び、他人と過ごすことが少なくなった。その分、遊びの場での人への思いやり経験の場が少なくなったと考える。保育園や幼稚園、そして学童保育、学校での集団生活は経験しているのだから、私が気にしているような問題点はない、との反論はあり得る。
   最近、居酒屋が流行っていると聞く(NHK TV、2月12日)。報道によれば、大阪の人がお気に入りの居酒屋を求めて、わざわざ東京まで足を運ぶ人もいるとか。上記の文脈からすれば、「ヒトがサルへと退化することに抵抗している行為」と解釈できる。若者の問題行動を、学校における道徳教育で終わりとするのではなく、サル学を含む人間行動学をも踏まえた人間教育を始める時期がきたのではないかと感じている。ヒトとヒトとをつなぐ心の教育が大切である。その意味では、人と人とをつなぐ心の教育かも知れません。
   追記:今朝14日(土)のNHK TVでニホンザルがお互いのイライラを解消するのに「抱擁行動」をするという報道があった。このことは共感能力と関係すると想われる。だとすれば、サルにも共感能力はあることになる。つまり、進化の度合いが異なるだけなのかもしれない。しかし、いずれの場合も生物の情報交換つまりコミュニケーションは直接交換が大切であることを教えている。メールのような非直接的な情報交換は補助手段であることが望ましいことを教えている。

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